ナレーションも字幕もない。ドラマも演出もない。
ただ、静かにカメラが回るだけ──。映像作家・栗原政史は、「語らない映像」で人々の記憶や感情を揺さぶる表現を追求している。
“映さない”ことで伝わること
栗原の作品には、時折、被写体が画面の外にいる。たとえば、老舗商店街のドキュメンタリーでは、店主の顔がほとんど映らない。代わりに、開店前のシャッターを上げる音、陳列棚を整える手元、通りすがる客の足音──そういった“まわりの空気”が映される。
「語らないほうが、人は“自分の物語”として受け取ってくれる」と栗原は言う。彼の映像には、見る人の想像力に語らせる“余白”がある。
1カット10分、無編集の世界
特徴的なのは、1カットを長回しで撮るスタイル。10分以上、まったくカメラを動かさず、固定したままのフレームで風景を見せ続ける。
「日常は、編集されていない。だから、映像もそうであっていいと思うんです」
ある作品では、窓辺に差す夕陽の光を20分にわたって映し続けた。最初は何も起こらないが、じわじわと光が壁を染めていく様子が、見る者の時間感覚を狂わせ、逆に“見る”という行為を深く意識させる。
音だけで語る短編シリーズ
栗原政史は映像作家でありながら、「音」だけの作品にも挑戦している。
たとえば、商店街の開店準備、朝の農作業、深夜の自販機コーナーなど、特定の場所の“音の風景”を収録したサウンドショートシリーズは、国内外で高い評価を受けた。
言葉を一切使わず、視覚も排除し、「聴くこと」に意識を集中させる作品たちは、“目で追うことに疲れた現代人”の心に静かに入り込む。
「目に見えない記憶」を残す試み
栗原政史が映像で残したいのは、歴史的な瞬間ではない。「なんでもない日常が、誰かの記憶になっていくこと」を信じている。
「忘れられていくものの中に、実は一番大切な風景があると思うんです」
彼の作品はテレビや映画館ではあまり見かけないが、図書館、美術館、福祉施設など、“時間の流れがゆるやかな場所”で上映されることが多い。今日もまた、誰かが静かに、栗原政史の“語らない映像”に心を重ねている。